2019.03.01 小田 菜南子

山田幸代流の目標達成術。起業家兼、日本初のプロラクロス選手の毎日

大学からラクロスを始め、すぐに日本代表に選出されW杯の舞台を経験した山田幸代選手。その後もラクロスと仕事、MBAなど常に二つ以上の活動を両立しています。大学卒業時には婚約者との別れという決断をしながらも、高い集中力と目標達成意欲、そしてタイムマネジメントの力で次々に目標を実現しています。

大学卒業後は社会人と日本代表選手の二足の草鞋を履き、2007年には日本初のプロラクロス選手に。強豪・オーストラリアのチームに所属しながら、MBA取得、そして2016年からは起業家としてラクロスを普及する活動も始めました。1日が何時間あっても足りなくなりそうな日々を送る彼女の、ラクロスとの向き合い方とは。マルチな活動を送るための環境を自分で生み出し、自己実現をしている姿は、様々なことに意欲的に取り組む女性たちのロールモデルとなります。

 

4年間付き合った恋人よりも、目の前のチャンスを掴みたかった

小田
いつからラクロスを始めたんですか?
山田さん
大学からです。それまでずっとバスケをやっていたのですが、完全燃焼した感じもあり、何か違うスポーツを探していたときに友達に誘われたのがきっかけです。そこから一気にのめりこみ、ラクロスを中心に生活リズムを組み立てるようになりました。
小田
山田さんのお話は色々なメディアで聞きましたが、以前テレビで婚約者のお話を聞いたときは驚きました。
山田さん
大学時代の彼氏ですね。彼には「山田には羽が生えてる」って言われてました。すぐラクロスに行っちゃって、全然ゆっくり会う時間がないから。「俺はラクロスが嫌いだ」とも(笑)それでも大学4年間付き合って、卒業したら結婚して彼の地元に引っ越そうと話していたんです。結納して、家まで建てていたんですけど、卒業した年がW杯イヤーだったんですよね。選ばれたら出たいじゃないですか。だから、「出ます」と言ったら「じゃあ結婚止めます」と言われてお別れしてしまいました。

小田
未練はなかったんですか?
山田さん
そのときは目の前にW杯があったので、あまり落ち込まなかったですけど、時間が経ってふと思い返したときに、「あ、いないのか」って思うことはありましたね。でも、自分のなかでそれ以上にするべきことがあると判断したことなので、後悔したことはないです。会うべき人とはきっと別れてもまた出会うと思っているので、縁がなかったということだと考えるようになりました。
小田
なぜそこまでラクロスにのめりこんだんでしょうか。
山田さん
一つは、スピードと激しさの魅力です。ラクロスはフィールド最速の格闘技と呼ばれていて、シュートの瞬間のボールの速さは女子でも120~130km/hくらいになるんですよ。女の子がスティックを持って、駆け回るようなかわいいイメージを持っていたので、そのギャップにどんどん引き込まれましたね。

 

0から1を生み出す楽しさにどハマり

小田
大学で初めて出会うスポーツって新鮮ですよね。
山田さん
そうですね。しかもすべてを自分たちで作っていかなきゃいけないんです。これがラクロスにはまったもう一つの魅力と言えます。ラクロスの練習環境って、何もかも自分たちでやらないと何もベースがないんですよね。高校まではバスケをやっていたので、コートは体育館に行けばあるし、監督もいる、目標も設定されています。

でもラクロスはチームメイト集めから、フィールド探しまで全部自分たちでやらないと練習ができません。私はそれがすごく楽しかったんです。敷かれたレールを走るんじゃなくて、レールを自分たちで敷いていく感覚がありました。目標設定からすべて自分たちで決められますし、0から1を生み出すことがきっと私は得意なんだと思います。

小田
ラクロスは、朝が早いイメージがあります。
山田さん
朝6時半から練習を始めて、10時に終わったら大学に行って授業受けて、バイトして、また朝練。部活に遅刻は絶対できないので、徹夜になりそうなときはグラウンドに行って寝ていました(笑)。

小田
勉強との両立は大変じゃなかったんですか?
山田さん
ラクロスで食べていけるとは思っていなかったので、勉強も真面目にしていましたよ。自分の場所は自分で勝ち取らなければ、という気持ちが強かったので、自分の得意なマーケティングの研究をずっとしていましたね。
小田
なぜそこまで努力できたんですか?
山田さん
私はラクロスを始めた時から「このスポーツを子どもたちの夢にしたい」とずっと思い続けていて、すべての活動がその目標につながっているからだと思います。「将来の夢は、ラクロス選手になること」って言ってくれる子どもを増やすためには、どんな普及が必要なのか、まず自分がラクロスの世界で成果を出さないといけないな、と逆算して考えてきました。就職した会社を辞めて、拠点をオーストラリアに移したのも、ラクロスだけで生活できるロールモデルになりたいと思ったからです。

大好きなことをするための環境は自分でつくる

小田
卒業した年にW杯を迎え、同時に就職もされましたよね。
山田さん
その仕事も、ラクロスをするためのツールと。就活の面接でも、「私はラクロスの練習がしたいので、東京配属にしてほしい。入社して半月後には遠征に行って1か月弱いません。7月からはW杯に行くので2,3か月いません。それでもよければ面接してください」と言いながら面接を受けていたくらいです。

ただ、その条件で採用してくれた会社に対しては、ラクロスをするために結果を出さないといけないという責任感を感じていました。BtoBの企画営業として歌舞伎町というディープなエリアを任され、飛び込みをしたり企画書をつくったり。でも19時から21時には必ずジムに行って、朝5時には会社に行って仕事をしていました。

小田
社内のトップセールスだったとか。
山田さん
結果を出していれば、夜早く帰ろうが、長期間会社を休もうが何も言われない。そのことに気づくと余計頑張ることができました。ラクロスを思いっきりやるために、早くノルマを達成しなければいけません。そのためには早く営業のステップを前に進めなくてはいけないんです。

そうしてどんなこともスピード感を持って対応しているうちに、コミュニケーション方法への気づきや学びも増えていって、ノルマを達成できるようになっていきましたね。社長も、私が朝いちばんに会社に来ていることも知っていたようで、W杯後にメッセージをくれました。

小田
大学時代の生活リズムも影響していそうですね。
山田さん
そうですね、早起きにも慣れていましたし、1日の時間配分を考えるのは昔から得意でしたね。バスケもラクロスも、決められた試合時間のなかで戦う競技。1試合の限られた時間をどう使うかを常に考えてプレーしてきましたから。

そのことが、大学行きながらラクロス、仕事しながらラクロスというように、24時間をどう使うか考えて決めるというスキルにつながっているんだと思います。だから、ラクロスのために生活拠点をオーストラリアに移したときも「まだ全然時間あるじゃん!」って思って大学院にも通いました。

小田
オーストラリアの大学院ですか?
山田さん
いえ、それが日本の大学院を選んだので、基本的に授業はスカイプで受けさせてもらっていました。オンライン講座なんてプログラムはなかったんですが、そこは頼んで設備を入れてもらいました。テストなどの大事なときには日本に帰ってきてましたけど、10時間くらいのフライトはしんどかったですね。
小田
教授も応援してくれていましたか?
山田さん
ちょっとめんどくさがっていたかもしれませんね(笑)それでも卒業まで協力してくれました。

 

夢をかなえたいなら、本気度を示す

小田
2016年には、起業もされました。その理由は何ですか?
山田さん
私がいつも言い続けている「ラクロスを普及したい」という想いの、本気度を伝えたかったんです。企業の活動として、ラクロスを表に出していくことでわたしへの信頼度が増して、力を貸してもらいやすくなると考えました。
小田
その後オーストラリア代表入りが決まりましたが、両立への不安はなかったんですか?
山田さん
代表に選ばれたから練習時間を長くするっていうことは、結局それまで全力でやってないっていうことなので何も変わらないかな。私は代表に選ばれることが目標だったわけではなく、世界大会のトップの経験を積むというのが目標だったので、そのためのチャレンジという意味合いが強かったですね。
小田
情熱的な一方で、常に目標を冷静に眺めている印象です。
山田さん
目標に近づくための要素を細分化するという作業はいつもしていますね。さらにその目標を俯瞰しながら、いろんな角度で見ています。あの目の前のカフェを目指すとして、その後ろ側に回ったら、カフェの看板は見えなくなりますよね。でも後ろにはこういう設備が必要になるんだなというのがわかって、遠回りに見えることでも実は目標達成に必要だと気づけます。そう考えると、私はいつもラクロス+〇〇と2軸を持っているようで、実は太い一本の軸を持っている感覚に近いのかもしれません。

小田
なんだか山田さんはレベルが高すぎる気もしてきました(笑)
山田さん
たぶん、人それぞれ得意分野が違うので。私はたまたま0から1を生み出すのが得意だっただけです。1を10にするのが得意な人もいるし、だからこそチームワークが生まれます。まずは自分がどういう人間なのかを知ることが大事だと思います。それを知っていれば、チームの中で自分がどういうカラーでいられるのかが分かるので、他人と比べてしまう必要はないですよね。
小田
最後に、一歩踏み出したい女性にメッセージをお願いします。
山田さん

1日24時間しかない時間を、どう過ごしているときが一番楽しいのか。それに懸けたいと思ったら、どうやったらその時間を生み出せるのかを考えてみてほしいです。私はバスケをしていた高校時代も、大学でラクロスを始めたときも、たぶん最初は一番下手でした。でもなぜか見つけてもらえて、チャンスを与えられてきました。それは私が誰よりも必死で、楽しそうにプレーをしていたからだと思います。

情熱を懸けていると、下手なのに誰よりも泥臭かったり、なぜか印象に残るプレーをしていたり、自然と人の目に留まるようになるんでしょうね。自分が何に情熱を懸けることができるのかを見つけてほしいです。

 

プロフィール

山田幸代

1982年8月18日生まれ。滋賀県出身。
大学時代、「たまたま友人に誘われて」ラクロスに出会い、ラクロスの魅力にとりつかれる。ラクロスを始めた翌年に、年代別の日本代表に選出される。その後は数々のタイトルを獲得し、2005年には日本代表としてワールドカップに出場。また、この年には大学を卒業し、某大手通信会社に就職。社内でトップセールスを記録するなど、プロ活動を始めるまで営業職とラクロスを両立していた。2007年9月にプロ宣言し、現在は日本初のプロラクロス選手として活躍中。

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